起立性調節障害・うつ 不登校を乗り越えた!

起立性調節障害、うつと診断された中学生の息子の様子を残していきたいと思います。不登校になってから、復活までの記録です。

減薬へ

ようやく、減薬することになりました。

高校入学する前に、とのことでした。

まずは、抗不安薬セニランから、ということでした。

てっきり、抗うつ剤かと思いましたが。

 

セニランは、登校する日の朝だけ飲んでいます。

本人も、以前のように、薬が命!みたいなところも減ってきていて、今回の減薬にも「大丈夫」と言っていました。

頓服的に使うように言われていたので、冬休みは服用していませんでした。多分減薬も大丈夫かなと思います。

 

 

高校も決まり、今はゆっくりしていますが、塾で高校の勉強を教えてもらっているらしく、高校入学したら、また塾へ行くと言っています。

でも、私はそんなに頑張らなくていいよと言っています。

部活もしたいだろうし、あまり頑張りすぎると心配です。

多分、本人は中学の半分を取り戻したいというか、やり残した感があるようです。

中学卒業まであと少しです。

カウントダウンです。

 

卒業式は、校長室かなと思っていた日を思い出します。

 

卒業式なんて、ただ1つの通過点に過ぎないってこと。

 

そこまでの考えに至るまでは、相当苦しかったです。

今、学校に行けるようになっても、その考えに変わりはありません。

 

健康でいること。

それがまずは一番だと思っています。

 

 

元不登校児の入試当日

不登校から脱却して、5ヶ月。

入試の壁となる出席日数や学力。

それを受け入れてくれた高校を受験しました。

正直、厳しい言葉をかけてきた高校もありました。

仕方ないことだと思います。

その高校の方針ですので。

 

うちの息子を受け入れてくれる高校が、まずは大事な選択でした。

それを探し出すまで、なんだかすごく遠回りしたような、そんな気がしました。

とにかく、情報がない。

自分が動くしかない。

一緒になって考えてくれる場所が多ければ多いほど、早くその道が見つかるはずだと思います。

 

うちの息子は、身体面に不調が覿面に表れるタイプでした。

それが、入試当日も体調面で全く問題なくクリアすることができました。

緊張からの吐き気もほぼ無しでした。

これは、本当にすごいことです。

本人も自信がついたと思います。

それに、遅くではありますが、12月からようやく受験勉強を自ら一生懸命するようになりました。

やっぱり、自分から必要だと思ってする勉強は力がつくと思います。

2時くらいまで勉強することもよくありました。

スタートは遅いですが、これは本当に大きな成長につながったと思います。

 

 

不登校児。

見事、高校に合格しました!

推薦での受験は無理でしたが、一般で合格することができ、四月から念願の高校生活が始められることになりました。

 

 

学校へ行けない子どもたち。

そのお家の皆様。

必ず、トンネルの先に未来はあります。

それが、いつなのか、その子によると思います。

うちの場合は、受け入れ難かった「薬」という選択が、良くなる時期を早めたのだと思っています。

子どもに薬なんて、と本当に抵抗しかありませんでした。

けれど、みるみる体調が良くなる息子を見て、これは彼にとって必要な成分を補充しているのだなと確信できました。

そして、その薬こそが、彼のお守りになり、安心材料として、外へ出る力となり、活力となったのは間違いありません。

学校との接触だけが回復への道だとは思っていません。

うちの場合は、学校とのつながりは回復へのつながりにはなりませんでした。

第三者が必要でした。

別の場所が必要でした。

別の興味が必要でした。

 

医師の声かけで学校へ行くタイミングをもらいました。

医師のある意味強引な学校へ行くタイミングが、きっかけになっています。

タイミングの時期は大事です。

うちの場合は、二度チャンスをもらい、二度目で成功しました。勿論、十分な休息をした後です。

全て学期始めでした。

ただ、それまでに、学校以外でいろいろな場所へ行けるようになることがまずは基本だと思います。

学校なんか忘れて、ほかの場所へ行きました。

修学旅行も参加できなかったので、修学旅行と同じ場所へ私と息子の2人で行きました。

同じホテル、同じ見学場所、いろんなことを、疑似体験してきました。

とにかく、必死でした。

上昇するきっかけになることが欲しかったんです。

 

 

後は、本人に希望、未来をどう見せるかだと思いました。

大人がいろいろなカードを集めて、提示できるようにすることを大事にしてきました。

子どもは小さな世界にしかいません。

大人が見せてあげるしかありません。

押しては引きながら、何に子どもが引っかかるか、じっくり見極めながら進むしかありません。

 

私たちのこれからは、第2のステージです。

心配は尽きません。

しかし、彼自身、乗り越えるしかありません。

今の彼は、希望と楽しみでいっぱいです。

そのまま、楽しく高校生活を過ごせるよう、見守っていきたいと思います。

 

 

休み明けの登校

冬休みが終わる前、 

「学校が始まるから嫌だな」

「泣けてくる」

と言っていました。

「泣けてくる」程、嫌なのか。

 

やはり、長い休みというのは、大きな何かが変わる節目でもある。

(行けなくなったらどうしよう…)

一抹の不安が脳裏をよぎるのだ。

 

 

学校へ登校する朝。

また、抗不安薬を飲み始めた。

やっぱり必要なんだな、と思った。

あれから、体調は安定して元気な様子だった。

学校1日目。恐怖の1日目だ。

学校へ行けなくなったのも始業式に体調を崩してから。

この第一日目が彼にとって乗り越えられるか乗り越えられないかの節目なのだ。

 

 

結論。

全く問題なく、帰ってきた。

 

 

あれから、今の彼は。

入試を目前に、勉強を頑張り始めた。

暗記モノを中心に。

ようやくエンジンがかかってきたみたい。

勉強しすぎてるのも体調を崩さないか心配ではあるけど、とにかく、1つでも高校に合格することができればホッとする。

本人も合格して、ゲームをしたいらしい笑

全くゲームをしなくなったので、頑張った分ゆっくり遊びたいのだと思う。

 

抗不安薬を辞めた副作用?

 

体調が年末から年明けまでよくなかった息子。

昨日の塾は問題なかった様子。

 

 

そういえば、抗不安薬は冬休みになってから飲んでいない。

頓服として服用するように言われていたため、平日の朝のみ2.5mg飲んでいた。

でも、冬休みに入って、ぱったりと服用しなくなった。

もしかして、いわゆる断薬による副作用?

全くわからないが、昨日は体調も悪くなかったし、夢にうなされることもなくなった。

吃音も聞かなくなったような気もする。(ただ、話しているのを聞く機会が減ったということもあるのだけど)

 

まあ、もう少し様子をみていこう。

ちょっと調子が悪くなってる?

冬休みになり、お正月を迎え、家での生活になり受験も迫って来ました。

最近、突如吃音が出始めました。

夜、夢でうなされる時がありました。

緊張する夢だったみたいです。

お風呂から上がった後に、倒れかけました。

(起立性調節障害と診断された時は、毎回お風呂上がりには倒れそうになっていました)

塾で気分が悪くなることが二度とありました。

本人はそう気にしていないのですが、どうも客観的に見て、前に逆戻りしてしまうんじゃないかと不安です。

受験に対して、本人は不安に思っていると思います。思うように勉強がはかどらないことによって、更に不安が強まっている感じのように思います。

本人の性格上、楽観的なところもあるので、そのストレスをスルーしたかのように過ごしているのですが、本当は多分相当ストレスが溜まっているのだと思います。

ストレスが体調面に表れる体質なので、今回のこの一連の様子は本当に心配です。

こうやって考えると、高校も心配です。

緊張などのストレスは、高校入学後、暫く強くあると思います。

まだ、完全に治ってないんだなぁと思います。

でも、乗り物酔いは全くしていないので少しはホッとしています。

やはり、健康が一番です。

 

 

「今年1年どうだった?」

 

息子から訊かれたこの言葉。

私は、一瞬なんて答えたらいいのかわからなかった。

不登校になってから学校へ行けるようになった、この1年。

息子の体調を一番この目で見てきたし、息子だけじゃなく、自分も本当に激動の1年だった。

いや、激動の2年目だった。

『しんどかった』

と言うべきなのか、

『乗り越えられた』

と言うべきなのか、

『疲れた』(今もそれは継続中だけど)

それとも、

『嬉しかった1年』

と言うべきなのか。

 

私は、息子になんて返したか、昨日のことなのに思い出せない。

だって、まさかこんな質問をしてくるなんて思いもよらなかったから。

 

逆に息子に聞いてみた。

「今年1年どうだった?」

 

すぐさま、返ってきた。

「頑張った」

 

とても重い言葉だった。

私は、彼の小学校から今まで過ごしてきた生活を全て知り得ることはできない。

今までのストレスがこうさせてしまったのは確かで、頑張った1年なんだけど、彼にとってはプラスになる『頑張った』1年なのだ。

今まで、彼はどれだけ我慢してきて、『頑張った』のだろう。

あれは、5年生くらいだった。

吃音が始まったのだ。

きっと、その頃既にSOSを身体が発してたのだろう。

最初の言葉が出ない吃音だったので、周りは気づいていなかった。

酷い吃音になり、中学生になるまで続いても周りは気付かなかった。

ベラベラ喋る方じゃなかったので、本当は1音目が出ず、本人は焦っていても周りは気づかない。

不登校になり始めてからも吃音は続いた。

酷くなっていったようだった。

本人は、言いやすい言葉を探し、言葉が出にくいものを避けて話そうとしたり、家では言葉に詰まらないように、練習したりしていた。

大抵、気持ちが安定していないと吃音が酷くなる。

それが、不登校から上昇し始める頃から、吃音がなくなっていった。

学校へ行けるようになって、吃音はほとんどなくなってしまった。

今は、たまになる時はあるけど、吃音じゃない人でもなるくらいの程度。

吃音の人はたくさんいると思うけど、不登校中の息子の吃音は、人と喋ることが困難になるくらいの吃音になっていた。

家族と喋るのは、吃音になっても気にしないで安心して喋ることができるけど、ほかの人と喋る時は、本当にしんどかったと思う。

喋ろうと思っても、シーンと静まり返り沈黙になってしまうからだ。

本人の中では、焦りと葛藤で冷や汗もの。

彼を更にストレスまみれにさせたのは言うまでもない。

 

吃音の人は沢山いると思う。

何が原因なのかはわからないけど、ストレスを感じてると余計に酷くなるパターンだった。うちの場合は。

 

ただ。

最近、思うのは、高校入学してからが、第2のステップだなと感じている。

 

ーまた、同じ症状になってしまうんじゃないか。

 

 

今はもうなくなってしまったけど、パニック障害的な症状もあったので、できれば満員電車に乗らなくてもいい高校がいいと思っている。

どこに受かるかわからないが、第1希望の高校は家から自転車で行ける学校。

電車は、またへんな緊張や気分悪くなったりする大きなきっかけになりかねない。

 

とりあえず、高校入学目指して頑張っていこうと思う。

 

 

頑張って学校へ行っています

 

私学が第一希望ということもあり、実質あと1ヶ月くらいで受験日を迎えます。

塾は、ほぼ平日は毎日行っており、4、5時間勉強して帰ってきます。

不登校には優しい高校を選択しました。

面接が必要だったり学校や出席日数が厳しい高校は、やはり、学校としての考えに疑問を持つからです。

「いま、行けているのなら大丈夫ですよ!」

そうやって言ってくれる学校を2つ受験するつもりです。

不登校の子を主として受け入れている学校ではありません。

でも、そうやって言ってくれることが、私たちにはありがたく、懐の深い高校だと感じるからです。

 

不登校、元不登校の高校受験には、自分で調べること以外、学校がどこまで親身になって動いてくれるか、です。

 

とにかく、今まで勉強していなかった部分の学習を取り戻すことを含め、後悔のないよう受験勉強を頑張って欲しいです。

そして、2月には、もうそんな緊張から解放して、最後の中学生活を送ってほしいと思います。

 

卒業アルバムも買うつもりありませんでした。

集合写真も勿論写っていません。

修学旅行の写真も勿論行っていないのでありません。

個人写真だけは撮りました。

卒業アルバムを買うかどうかは、本人に任せようと思います。

 

合格祈願をしに行かなくては…!