「今年1年どうだった?」
息子から訊かれたこの言葉。
私は、一瞬なんて答えたらいいのかわからなかった。
不登校になってから学校へ行けるようになった、この1年。
息子の体調を一番この目で見てきたし、息子だけじゃなく、自分も本当に激動の1年だった。
いや、激動の2年目だった。
『しんどかった』
と言うべきなのか、
『乗り越えられた』
と言うべきなのか、
『疲れた』(今もそれは継続中だけど)
それとも、
『嬉しかった1年』
と言うべきなのか。
私は、息子になんて返したか、昨日のことなのに思い出せない。
だって、まさかこんな質問をしてくるなんて思いもよらなかったから。
逆に息子に聞いてみた。
「今年1年どうだった?」
すぐさま、返ってきた。
「頑張った」
とても重い言葉だった。
私は、彼の小学校から今まで過ごしてきた生活を全て知り得ることはできない。
今までのストレスがこうさせてしまったのは確かで、頑張った1年なんだけど、彼にとってはプラスになる『頑張った』1年なのだ。
今まで、彼はどれだけ我慢してきて、『頑張った』のだろう。
あれは、5年生くらいだった。
吃音が始まったのだ。
きっと、その頃既にSOSを身体が発してたのだろう。
最初の言葉が出ない吃音だったので、周りは気づいていなかった。
酷い吃音になり、中学生になるまで続いても周りは気付かなかった。
ベラベラ喋る方じゃなかったので、本当は1音目が出ず、本人は焦っていても周りは気づかない。
不登校になり始めてからも吃音は続いた。
酷くなっていったようだった。
本人は、言いやすい言葉を探し、言葉が出にくいものを避けて話そうとしたり、家では言葉に詰まらないように、練習したりしていた。
大抵、気持ちが安定していないと吃音が酷くなる。
それが、不登校から上昇し始める頃から、吃音がなくなっていった。
学校へ行けるようになって、吃音はほとんどなくなってしまった。
今は、たまになる時はあるけど、吃音じゃない人でもなるくらいの程度。
吃音の人はたくさんいると思うけど、不登校中の息子の吃音は、人と喋ることが困難になるくらいの吃音になっていた。
家族と喋るのは、吃音になっても気にしないで安心して喋ることができるけど、ほかの人と喋る時は、本当にしんどかったと思う。
喋ろうと思っても、シーンと静まり返り沈黙になってしまうからだ。
本人の中では、焦りと葛藤で冷や汗もの。
彼を更にストレスまみれにさせたのは言うまでもない。
吃音の人は沢山いると思う。
何が原因なのかはわからないけど、ストレスを感じてると余計に酷くなるパターンだった。うちの場合は。
ただ。
最近、思うのは、高校入学してからが、第2のステップだなと感じている。
ーまた、同じ症状になってしまうんじゃないか。
今はもうなくなってしまったけど、パニック障害的な症状もあったので、できれば満員電車に乗らなくてもいい高校がいいと思っている。
どこに受かるかわからないが、第1希望の高校は家から自転車で行ける学校。
電車は、またへんな緊張や気分悪くなったりする大きなきっかけになりかねない。
とりあえず、高校入学目指して頑張っていこうと思う。