起立性調節障害・うつ 不登校を乗り越えた!

起立性調節障害、うつと診断された中学生の息子の様子を残していきたいと思います。不登校になってから、復活までの記録です。

元不登校児の入試当日

不登校から脱却して、5ヶ月。

入試の壁となる出席日数や学力。

それを受け入れてくれた高校を受験しました。

正直、厳しい言葉をかけてきた高校もありました。

仕方ないことだと思います。

その高校の方針ですので。

 

うちの息子を受け入れてくれる高校が、まずは大事な選択でした。

それを探し出すまで、なんだかすごく遠回りしたような、そんな気がしました。

とにかく、情報がない。

自分が動くしかない。

一緒になって考えてくれる場所が多ければ多いほど、早くその道が見つかるはずだと思います。

 

うちの息子は、身体面に不調が覿面に表れるタイプでした。

それが、入試当日も体調面で全く問題なくクリアすることができました。

緊張からの吐き気もほぼ無しでした。

これは、本当にすごいことです。

本人も自信がついたと思います。

それに、遅くではありますが、12月からようやく受験勉強を自ら一生懸命するようになりました。

やっぱり、自分から必要だと思ってする勉強は力がつくと思います。

2時くらいまで勉強することもよくありました。

スタートは遅いですが、これは本当に大きな成長につながったと思います。

 

 

不登校児。

見事、高校に合格しました!

推薦での受験は無理でしたが、一般で合格することができ、四月から念願の高校生活が始められることになりました。

 

 

学校へ行けない子どもたち。

そのお家の皆様。

必ず、トンネルの先に未来はあります。

それが、いつなのか、その子によると思います。

うちの場合は、受け入れ難かった「薬」という選択が、良くなる時期を早めたのだと思っています。

子どもに薬なんて、と本当に抵抗しかありませんでした。

けれど、みるみる体調が良くなる息子を見て、これは彼にとって必要な成分を補充しているのだなと確信できました。

そして、その薬こそが、彼のお守りになり、安心材料として、外へ出る力となり、活力となったのは間違いありません。

学校との接触だけが回復への道だとは思っていません。

うちの場合は、学校とのつながりは回復へのつながりにはなりませんでした。

第三者が必要でした。

別の場所が必要でした。

別の興味が必要でした。

 

医師の声かけで学校へ行くタイミングをもらいました。

医師のある意味強引な学校へ行くタイミングが、きっかけになっています。

タイミングの時期は大事です。

うちの場合は、二度チャンスをもらい、二度目で成功しました。勿論、十分な休息をした後です。

全て学期始めでした。

ただ、それまでに、学校以外でいろいろな場所へ行けるようになることがまずは基本だと思います。

学校なんか忘れて、ほかの場所へ行きました。

修学旅行も参加できなかったので、修学旅行と同じ場所へ私と息子の2人で行きました。

同じホテル、同じ見学場所、いろんなことを、疑似体験してきました。

とにかく、必死でした。

上昇するきっかけになることが欲しかったんです。

 

 

後は、本人に希望、未来をどう見せるかだと思いました。

大人がいろいろなカードを集めて、提示できるようにすることを大事にしてきました。

子どもは小さな世界にしかいません。

大人が見せてあげるしかありません。

押しては引きながら、何に子どもが引っかかるか、じっくり見極めながら進むしかありません。

 

私たちのこれからは、第2のステージです。

心配は尽きません。

しかし、彼自身、乗り越えるしかありません。

今の彼は、希望と楽しみでいっぱいです。

そのまま、楽しく高校生活を過ごせるよう、見守っていきたいと思います。