何を心配するのか
「どうしよう…行けるかな」
どこか外へ出る時に必ず出てくる言葉。
この言葉に私は、毎回胸が押しつぶされるような辛さでいっぱいになった。
いっぱいになりすぎて身体がおかしくなりそうだった。
本日の午後。
「今日の体調は?」
「100%」
あら。実は今朝、息子から聞いた言葉は違った。
「店に行ってまた気持ち悪くなったから、もうこれからずっとどこへも行けないかもしれない………」
(うわ……)
私は、またこんな風になってしまったかと、また自分を責めた。
また、あの時のパニックみたいにどん底に落ちてしまうんじゃないかと。
その後。
お父さんと外に散歩(散歩という名のただの庭へ出るということ)に出ようとした時、大丈夫かなと心配になりながら様子を見守った。
外へ出る時、
「どうしよう…行けるかな」
(うわ、やっぱり)
私はそう思って、声をかけようとしたところ、
「お母さんどう思う?〇〇が××で行けると思う?どうしよう…」
(は?)
何の話か。
「散歩のことじゃないの?行けるかって」
「違う。そんなこと別に何ともない」
ええええーーー!(◎_◎;)
どうやらゲームのことらしく、それがクリアできるかどうかを心配していたらしい。
お!?
心配ごとが変わってきている!?
やっぱり、「100%」の元気度と言えるようになっているということは、店で気持ち悪くなってしまってはいるけど、良い方向へ向かっていることなのかな?
家にいる時だって、抗うつ剤を飲む前は、四六時中気持ち悪くて、詰まったような感じの胸を叩いたり、さすったりしていたことと比べれば、ようやく人並みの体調に近づいてきている証拠かもしれない。